有象無象


快楽の売人
ホンソメワケベラ





 今回の主人公は、”快楽の売人”ホンソメワケベラ。
 まだ無名の頃、先輩のソメワケベラ(学名Labroides bicolor 英名Two-colour cleaner)に対して細身の「ホソソメワケベラ」と名付けられていた。しかし、世に名が売れ出した頃にはなぜかホンソメワケベラ(学名Labroides dimidiatus 英名Cleaner wrasse)と名が変わっていた。一説には、出版社のミスプリントが原因とか。
 スリムなボディーに黒のラインの入ったロングドレス、子供の頃は黒地にブルーのライン、これがホンソメワケベラの衣装。魅惑的なダンスを踊りながら岩影で客を待つ姿をよく見掛ける。このホンソメワケベラはクリーニング魚として知られている。他の魚の皮膚に付くウオジラミ・クラゲノミなどの寄生虫を食べている。この衣装とダンスは重要なクリーニング屋の看板となっているのである。この看板を見て客が寄ってくると擦り寄るようにまとわり付く。すると客はにわかに泳ぐのを止め、体を硬直させる。ホンソメワケベラは客の体のあちこちを啄みはじめる。鰭の付け根や顎の下を啄んでいるうちは客も「んーん!なかなかいいねえ」とまだ平静を装っている。が、やがてそっと口を開け、ホンソメワケベラを口の中へ誘い込み、鰓蓋にまで入り込んで来る頃になると絶頂に達する。客の体色は見る見る変化し、体は平行感覚を失ってだらしなく漂いはじめ、最後には地面の上でごろごろ波に体を任せている。「あー、気持ちいいー!」という声が聞こえてきそうである。
 ホンソメワケベラは、はっきりとした縄張りを持ち、クリーニング・ステーションが決まっているのでいつも決まったところにいる。香附子のポイントのよく通るルートにもやはりいつも私を待っているホンソメワケベラがいる。窪みのオトヒメエビを観察していると必ず誘惑しにやってくる。初めは遠巻き踊ってみせるが、やがて腕に擦り寄ってきて啄みはじめる。その姿のなんと妖艶でしたたかであることか。一般に床屋・そうじ屋などと呼ばれているが、私にはどうしても”快楽の売人”のように思えて仕方がない。
〈松本〉

Ynac通信3号掲載