ベニシオマネキ
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屋久島の南西に流れる栗生川の河口に、小さなマングローブが残されている。マングローブと呼ぶにはいささか、規模が小さすぎる。メヒルギ群落と呼ぶのが適当かもしれない。田川先生の本によると、かつては反対側の岸にもう少し大規模なマングローブが見られたそうだが、今では港になってしまい、すっかり姿を消してしまっている。ということで、残されたメヒルギ群落は、町の天然記念物として、手厚く保護されることになった。
さて、このメヒルギ群落であるが、10年ほど前には、高波等の影響で、岸辺が侵食されていよいよ存続の危機に立たされた。そこで町では、蛇籠等により護岸を行い、侵食を防ぐとともに、干潟の復元を図った。護岸を行って1年もすると、実に美しく泥が付き、干潟環境が復元をはじめた。
すると驚いたことに、これまで見なかった干潟のカニ達が、早速、棲みはじめたのだ。
まず目に入ったのは、白い大きなハサミを振り振りしているハクセンシオマネキだ。一生懸命ハサミを振りながら雌を誘う雄の姿はいじらしく、また他の雄との恋の鞘当てなど、ドラマチックで、見ていて飽きないものだ。
ところがもっと驚いたことに、ハクセンシオマネキよりも、もう少し陸よりに、鮮やかな赤い甲羅を持った小型のシオマネキが棲み付いていた。ベニシオマネキだ。このカニは、図鑑では分布は奄美以南のマングローブ干潟とされており、屋久島での分布は初記録かもしれない。おそらく北限には間違いないであろう。
栗生は、屋久島でも最も初めに黒潮がぶつかる地域である。カニの幼生は、海でプランクトン生活を送るので、ベニシオマネキは黒潮に乗って、南の島から運ばれてきたことになる。これまで屋久島に干潟環境がなかったために、死滅回遊していた幼生達が、にわかに誕生した小さな干潟に、目ざとく棲み付いたということのようだ。黒潮による南の島々との繋がりを、ベニシオマネキは、実に顕著に証明してくれてくれたわけである。と同時にこのことは、自然が開放系である以上、適当な場(ここでは干潟という環境)が確保されれば、ほっておいても定着可能な生き物が勝手に棲みつき、そこにまた新たな生態系がはじまるという、場の重要性を物語っている。
1996年に初めてベニシオマネキを見つけて以来、かれこれ2冬越したことになるが、今年も元気にその姿を見ることができた。確実に定着したと言えるであろう。それでこそこのメヒルギ群落もマングローブと呼ぶのにふさわしい。
しかし困ったことになってきた。護岸の効果が効きすぎてきて、今度は泥の干潟の上に砂が積もりはじめたのだ。メヒルギ群落の上流側から、着々と陸化が進んでいる。このままでは遅かれ早かれ干潟は砂に埋もれてしまうであろう。北限のメヒルギ群落とともに、ベニシオマネキが姿を消すのも、時間の問題だ。(市川)
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Ynac通信8号掲載
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