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1997/6/6
6月6日、ガイドの仕事で再び白谷雲水峡を訪ねた。
楠川歩道と原生林歩道との分岐点で、お客様の質問に答えて、幸屋火砕流について説明をしていると、幸屋火砕流の地層の中に黒く光る石片を見つけた。
黒曜石だ!
やはり白谷雲水峡には、黒曜石があったのだ。
それも幸屋火砕流の層の中に埋もれているではないか。
あたりをよく探すと、もう一つ黒曜石を発見した。
間違いない。
黒曜石は、幸屋火砕流とともに鬼界カルデラから運ばれたものだったのだ。
先に「屋久島は花崗岩の島であり、火山岩である黒曜石が自然に産出されるはずはない。」と書いてしまったが、幸屋火砕流を忘れていた。大きなものはともかく、小さな石片であれば、喜界カルデラの爆発に伴って形成された黒曜石が、火砕流とともに運ばれてきても不思議はないはずだ。
振り返ってみると一湊の松山遺跡等から出土する黒曜石は、極めて少量で大きな塊はない。
交易により手に入れたとしたら、あまりにもチンケである。
しかし、屋久島の幸屋火砕流に含まれる少量の黒曜石を、希に利用していたとすれば、なんとなく辻褄が合うような気がする。
今後は、屋久島の各地に堆積している幸屋火砕流について、黒曜石が白谷雲水峡付近にのみあるのか、他にも普通に埋もれているものか調べてみたい。
1997/6/14
6月8日、春牧(安房)に友人の棟上げの手伝いに行った。
彼の家の法面には、きれいに幸屋火砕流の層が出ており、そこでもやはり白谷雲水峡と同じような黒曜石の小塊を見つけた。幸屋火砕流に黒曜石が含まれるのは、どうも一般的な傾向のようである。
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