屋久島の謎


白谷雲水峡の黒曜石

1997/5/27採集



 白谷雲水峡にヤクシカの調査に行った際に、シカの餌場となっている台風ギャップで、なんと黒曜石を拾った。
 黒曜石は、古代石器として矢尻やナイフに使われていたガラス質の岩石である。
溶岩が急冷してできた火山岩であり、深成岩である花崗岩の塊のような屋久島に、自然に産出するといことは考えにくい。

 屋久島では、縄文時代の遺跡である一湊の松山遺跡など、海岸線の集落付近の遺跡で黒曜石が見つかっている。
 上屋久町の歴史民俗博物館で、松山遺跡出土の黒曜石を見せていただいたら、白谷の黒曜石とそっくりであった。
 黒曜石は、石器の素材としての価値が高く、縄文時代より、交易により広い範囲で流通していた。松山遺跡の黒曜石が、どこから持ち込まれたものかは定かではないが、鹿児島県北部あたりに産出する黒曜石だという説もある。

 それにしても標高600mを超える白谷雲水峡の中に黒曜石が落ちていたのは、なぜだろうか?
 縄文時代、縄文人もまた白谷雲水峡に登ってきていたのだろうか。
 上屋久町の教育委員会の計屋さんに伺ったところ、以前、白谷雲水峡の奥の辻峠あたりで、黒曜石を見かけたという人の話をいくつか聞いたことがあるそうである。
 辻峠と黒曜石、何か宗教的な意味合いでもあったのだろうか?



白谷雲水峡や辻峠で黒曜石を見かけたという方、情報をお待ちしています。



forest@ynac.com


続報!1997/6/6

 6月6日、ガイドの仕事で再び白谷雲水峡を訪ねた。
 楠川歩道と原生林歩道との分岐点で、お客様の質問に答えて、幸屋火砕流について説明をしていると、幸屋火砕流の地層の中に黒く光る石片を見つけた。
 黒曜石だ!
 やはり白谷雲水峡には、黒曜石があったのだ。
 それも幸屋火砕流の層の中に埋もれているではないか。
 あたりをよく探すと、もう一つ黒曜石を発見した。
 間違いない。
 黒曜石は、幸屋火砕流とともに鬼界カルデラから運ばれたものだったのだ。
 先に「屋久島は花崗岩の島であり、火山岩である黒曜石が自然に産出されるはずはない。」と書いてしまったが、幸屋火砕流を忘れていた。大きなものはともかく、小さな石片であれば、喜界カルデラの爆発に伴って形成された黒曜石が、火砕流とともに運ばれてきても不思議はないはずだ。

 振り返ってみると一湊の松山遺跡等から出土する黒曜石は、極めて少量で大きな塊はない。
 交易により手に入れたとしたら、あまりにもチンケである。
 しかし、屋久島の幸屋火砕流に含まれる少量の黒曜石を、希に利用していたとすれば、なんとなく辻褄が合うような気がする。

 今後は、屋久島の各地に堆積している幸屋火砕流について、黒曜石が白谷雲水峡付近にのみあるのか、他にも普通に埋もれているものか調べてみたい。



続報2!1997/6/14

 6月8日、春牧(安房)に友人の棟上げの手伝いに行った。
 彼の家の法面には、きれいに幸屋火砕流の層が出ており、そこでもやはり白谷雲水峡と同じような黒曜石の小塊を見つけた。幸屋火砕流に黒曜石が含まれるのは、どうも一般的な傾向のようである。


新着情報

樹木医ガイドさんより(2004/2/23)

 僕もかような物を1974年小障子岳山頂近くで見つけ当時知り合いの地質学者マーカス君に鑑定を頼んだところ火山ガラスとのことでした。この記事の写真より一回り大きなものでした用に思います。


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